◇ ◆ 地     域 ◆ ◇

 (5.8) 歴   史
8.歴 史

 ◆ 地元の城 (1) 山口城址 ◆ 
 居住しているニュータウンは丘陵地の峰で、ここを降りたところに「山口城址」があります。
 武蔵七党の一つ村山党の山口氏が平安時代からここを拠点として活躍して、戦国時代末期後北条氏の滅亡時に廃城になりました。入居したころは個人所有の敷地にかなり土塁があるのが見えましたが、残念ながら店舗になってほとんどなくなってしまいました。
 資料は所沢市教育委員会発行「山口城と山口地域」(平成13年3月)と史跡看板「山口文化財あんない」による。                    狭山丘陵近辺と山口城
 城址想定範囲

 緊急調査発掘範囲

 ◆ 山口氏 ◆ 
 村山党は、平良文系の村山頼任が武蔵村山郷(現瑞穂町)に住したのが始まりで、頼任の兄弟野与基永は現加須市の野与庄から野与党を称した。頼任の子が頼家で孫が大井家綱、宮寺家平、金子家範、山口家継とされる。

 ◆ 大舘氏 ◆ 
 この地にはいくつかの苗字が多くみられるが、その中の一つが「大舘」である。北野神社の並び道路から少し入ったところに「大舘八幡宮」があり、由来が下記のように記されている。
 百姓に身を隠したということで多分屋敷内にひっそり祀っていたと思われる小さな社で、最近になって外から入れるようにしたと勝手に見ている。
 由来の中で新田義宗が所沢に隠遁したとあるが、普通は山奥に逃げるのになぜ鎌倉街道沿いの北野郷だったのかがよく分からないし、子孫はどうなったのだろうか?
 
 その後調べると、所沢の大舘氏についてウィキペディア(Wikipedia)に一項目あり、後北条氏被官(山口氏?)の配下で徳川入部後に帰農したとあるが、信憑性に問題があるようである(所沢市史編さん関係資料群)。

 ◆ 地元の城 (2) 滝の城址 ◆ 
 居住しているニュータウンは所沢市の西に位置しているが、反対の東に「滝の城址」があります。
 二の丸跡にある城山神社社務所横にパンフレットが置いてあるので貰ってきたのですが、中にリーフレットが入っていました。このリーフレットが2枚あって内容が異なっていました。
 一枚は認識のある山内上杉家の重臣「大石氏」(信濃出身、滝山城、武蔵守護代)が、対抗していた扇谷上杉家の江戸城・川越城を分断するために15世紀後半に築いたというものです。もう一枚は、全く逆に江戸城・川越城を繋ぐ清戸道が、豊島兄弟の石神井城・練馬城のよって連絡が不自由になったので、太田道灌が築いたというものです。
 誰が築いたかはともかく上杉氏没落後は後北条氏の城になり、北関東への出兵基地等に使われたようですが、小田原攻めにより落城し、廃城になりました。
 城跡模型は、滝の城跡保存会が製作し、所沢市に寄付したもので、教育委員会生涯学習センターで展示されています。
 手前が内郭で奥が外郭です。
 城は、本郭と二及び三の郭の内郭が当初で、後北条氏が外郭を拡張したといわれています。
 下の写真は、城山神社への参道で崖地を上っています。
 崖地からは古代の横穴古墳が発見されています。古代から住むのには適した地だったようです。
 下の写真は、柳瀬川の対岸からで、林の奥が公園になっていて、その奥が崖になっています。
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